Das Wassobrunner Gebet – ヴェッソブルンの祈り

底本(Braune:1962, S.85f.)

Das Wassobrunner Gebet

De Poeta.

Dat gafregin ih mit firahim     firiuuizzo meista,
Dat ero ni uuas     noh ufhimil,
noh paum …     noh pereg ni uuas,
ni …1校訂によってはsterro(星々)が補われている場合もあり。 nohheinig     noh sunna ni scein,
5.noh mano ni liuhta,     noh der mareo seo.
Do dar niuuiht ni uuas     enteo ni uuenteo,
enti do uuas der eino     almahtico cot,
manno miltisto,     enti dar uuarun auh manake mit inan
cootlihhe geista.     enti cot heilac …
10.    Cot almahtico, du himil enti erda gauuorahtos, enti du mannun so manac coot forgapi, forgip mir in dino ganada rehta galaupa enti cotan uuilleon, uuistom enti spahida einti craft, tiuflun za uuidarstantanne enti arc za piuuisanne enti dinan uuilleon za gauurchanne.


BSB Clm 22053, [S.l.] Süddeutschland, Bistum Augsburg, vor und um 814 [BSB-Hss Clm 22053]: 65v-66r

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Basler Rezepte – Baslerの処方箋

 東フランク方言で記された恐らくドイツ語最古の処方箋です。若干、古ザクセン語的な側面も含んでおり、9世紀にフルダで記されたものとされています。
 初めは熱に対しての処方箋であり、まずラテン語で記された後にドイツ語でその内容と補足が書かれています。
 2番目の処方箋(写本の下部)では癌に対しての処方箋が記されています。
 研究者によっては前半の熱に対しての処方箋を2つに分けていることもあります。


Basel, Universitätsbibliothek, F III 15a: 17r.

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Der Trierer Gregoriusvers – トリールのグレゴリウス詩


Trier, Stadtbibl., Hs. 40/1018 8°. Bl. 36v-37v

875-900年に成立したとされるラインフランク方言(あるいはモーゼルフランク方言?)で記された短い脚韻詩です。高橋(2003, S.357f.)は内容を「教皇グレゴーリウス1世の言葉の脚韻訳」としています。

底本:Naumann(1967, S.159)。

Ni sal nieman
then diubal vorhatan,
wanda her ne mach manne scada1santa:(st./sw.F.) Schande, Schmach; Schändung. (Splett:1993, S.832) sin,
iz nihengi2ni + hengi: hengiはhengenのKonj.Prät., 条件文 imo use druhttin.

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FRÆNKISCHES GEBET – フランク語の祈り

レーゲンスブルクでラインフランク方言によっておそらく789-821年の間に記された祈祷文の一つです。Ahd.の文の下にラテン語の文が合せて記されています。一部分でバイエルン方言(galaupun等)も用いられています。

底本:Braune(1962, S.37)

Truhtin gôd, thu mir hilp indi forgip mir gauuitzi indi gôdan galaupun, thina minan indi rehtan uuilleon, heili indi gasunti indi thina guodun huldi.

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Inschrift aus Köln / Kölner Inschrift

1571年のケルンの都市地図に載っている碑文。この碑文が刻まれた石は残っていませんが、ケルンの聖堂付属学校の入り口の石に彫り込まれたと考えれられています(高橋:2003, S.351)。

底本:Braune(1962, S.8)

Hir maht thu lernan
ここで汝は学ぶ事ができる、
Guld bewervan1biwerban: erwerben, vollbringen, gelangen, tun
金を得る事、
Welog2Nhd. Reichtum inde wisduom
富と知識を,
Sigilob inde ruom.
勝利の誉れと栄誉を。
(lob inde ruomを補わないのであれば3Sigilob: Nhd. Siegeslob
Sigu: Nhd. Sieg
)
勝利を。

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Der Priestereid – 司祭の誓い

底本:Braune(1962, S.57)

De sacramentis episcopis qui ordinandi sunt ab eis.
Daz ih dir hold1Nhd: treu pin . N. demo piscophe . so mi | no chrephti . enti mino chunsti sint . si mi | nan vuillun . fruma frûmenti enti scadun | vuententi . kahorich2Nhd: gehorsam, folgsam. . enti kahengig3nachgiebig, fügssam . enti | statig . in sinemo piscophtuome4Nhd: Diözese . so ih mit rehto aphter canone scal.

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Die Straßburger Eide – ストラスブールの誓い

概要

ストラスブールの誓い(フランス語: les serments de Strasbourg、ドイツ語: die Straßburger Eide)は、842年に西フランク王国国王シャルル2世“禿頭王”と東フランク王国国王ルートヴィヒ2世“ドイツ人王”によって結ばれた同盟である。
シャルルとルートヴィヒが協力して長兄ロタール1世に対抗することを誓約した。
フランク族の歴史家ニタール(Nithard)が残した『ルイ敬虔王の息子たちの歴史』(”Histoire des fils de Louis le Pieux” )によると、両王はラテン語でも自国の言語でもなく、お互いに相手国の言語を用いて兵の前で宣言し、両国の兵はそれぞれ自国の言語で誓いを行った。これは、この頃までにカロリング朝フランク王国が東西に分裂した証拠と考えられてきた。
本文は古高ドイツ語で記されたものと、古フランス語の祖となるロマンス語で記されたものがある。前文はそれらの2言語のほか、ラテン語でも残っている。ロマンス語で記されたものは、ラテン語とは明確に異なるそれの最古の文書であり、最古のフランス語の文書と言われることもある。
ストラスブールの誓い – Wikipedia


Nithardus, De dissensionibus filiorum Hludovici Pii libri quatuor (1-18r). Flodoardus Remensis,Annales (19v-46v). Nithardus (0800?-0844). Auteur du texte

日本語訳

神の寵愛と、キリストの民並びに我ら両者の救済において、この日より先、神が我に叡智と力を与える限り、人が兄弟を当然のように守るが如く、我は我の兄弟を守るものである。
兄弟が我に同じように、また我がロータルと兄弟を害するような関係を持たぬ限りにおいて。

もしカールがルートヴィヒと結んだ誓いを守り、そして我が主、ルートヴィヒがそれを破る場合には、我も、我がその反故を思いとどまらせられる者らは皆、カールと敵対し、そしてルートヴィヒを助けることはない。

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Hildebrandslied – ヒルデブラントの歌

 Hildebrandslied(ヒルデブラントの歌)は8世紀頃に当時のドイツ語で、現在の上部イタリアにおいて成立したと推測されている口伝の伝統的頭韻英雄詩です。とはいえ実際のところ、詩自体がどこで、そしていつ成立したかは判明していません。現存している写本は、フルダ修道院で(恐らく)9世紀前半に東フランク方言に翻訳され二人の書き手により書かれた写本ですが、一部は不慣れであったでろう古ザクセン語が用いられています。なぜ中途半端に古ザクセン語を用いたのか定かではありません。古ザクセン語への翻訳はこの書き手らが行なったのではなく、書き写した写本原本ですでに古ザクセン語が混じっており、それをそのまま書き写したという説があります。
 作品内容は完全に伝承はされておらず、文中の一部や、肝心の結末が抜け落ちています。その後の関連がありそうな作品から、ヒルデブラントがハドゥブラントを最終的には殺してしまう結末であったであろうと考えられています。


2° Ms. theol. 54. Bl. 1r und 76v: Universitätsbibliothek Kassel.

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